いいなと思う写真といいなとは思う「けど」な写真
つい先日、中秋の名月のときに撮れた写真。建築家丹下健三の傑作、東京カテドラル大聖堂をスマホで撮ったもので、夜景モードなんかを使って、硬質な感じの1枚の写真としては、とてもよく撮れたと満足。
ただ、個人の好みとしてはもっとふわっ、もやっとした写真が好きで、あんまりこういうカチッとした写真は好きではない。
でも、失敗作かというとそんなこともなくて、どこかで使いたいなと思うけれど、使う場所がない。自分のInstagramにも喜び勇んで載せたいなとも思わない。思わなくないけど、他の写真と雰囲気が違っちゃうなって思う。
このように、自分が撮りたいなと思うイメージの写真と、うまく撮れたには撮れたんだけど、自分の好みではないなぁ。。というような差異が生じてしまうことはたまにある。
こうしたことはなぜ起きてしまうんだろうと考えると、自分のイメージにあった写真を撮ろうとするよりも、ただただ被写体に力があって、その被写体(今回であれば東京カテドラル大聖堂)を撮ろうするとそのような差異が生じるのだろうと思う。
そもそもこの東京カテドラル大聖堂自体が硬質な感じだし、もしふわっとした写真をとりたいのであれば、わざわざ被写体に選ぶような主題ではないのだろう。
だから自分が満足の行く写真を撮るためには被写体を撮る以前に、まずはどんなイメージの写真を撮りたいのか、そしてそれを再現するためにアンテナを張りめぐらす、みたいなそういう心づもりがとても重要なんだろうなと思う。