東京2020オリンピック騒動からの学び
はじめに
恐れをベースに動くとロクなことがない
未来へのビジョンをしっかりと持つ
まとめ
はじめに
オリンピックは、おそらく現在世の中で実施されているイベントの中で最大級のプロジェクトです。そんなオリンピックが、開催の2週間前になってやっと「無観客による開催」という形態での実施が決定しました。いろんな意味で前代未聞の状況になりましたね。
IOCはオリンピックが実施されさえすれば放映権料が入るし、その放映権料を支払うNBCにしても過去最高の広告収入ということで痛手はゼロ。それに比べて開催地の東京、そして日本は1年延長による用地確保だったり、施設の建設費用などなど、支出ばかりが積み重なっていたはずです。そして最後の頼みの綱だった観客からの入場料収入がゼロになり、開催される前から、莫大な赤字収支でこのプロジェクトは終わりを迎えることが決定的となりました。なんだか戦争でもないのに、なにかに敗戦したような感じです。
オリンピックそのものはこれから開催されることになりますが、ここまでの流れを見ていて、感じたことを部外者としてまとめておきたいと思いました。
恐れをベースに動くとロクなことがない
コロナによって世界が様変わりするなか、主催関係者があくまで規定通りの有観客でのオリンピックの開催を目指してきたのは、とにかくIOCとの契約上、そうしないと日本国民の税金などというかたちで負担せざるを得ない、そしてそれだけは避けたいという、強い思いであったのは十分理解できます。
しかし、結果的にその恐れた状況になってしまいました。最後に無観客での開催を決定したときの関係者の落胆、絶望たるや筆舌に尽くしがたいものがあると感じました。ですからぼくはこれまで開催に突き進んできた関係者のみなさんを無下に批判することはできません。
オリンピックによって一儲けしてやろうという勢力もそれはいたはずですし、実際に儲けている人もいるんでしょう。まぁでもそういう人たちのことはひとまず放っておきます。
きっと関係者の多くのみなさんは、今回のオリンピックによって国民に負担をかけてしまうということだけは避けたい、という恐れをモチベーションにしてこれまで多方面からの批判にも負けずに突き進んで来たのだと想像します。
しかしこの恐れをモチベーションにした行動というのは度が過ぎるとロクなことがないというのが、心理学でも証明されてるように思います。自転車でみずたまりを避けようとする気持ちが大きすぎると逆になぜか水たまりにはまってしまうというやつです。
今回オリンピックの関係者のみなさんはこの水たまり理論にはまってしまったように見えました。
未来へのビジョンをしっかりと持つ
であればどうすればよかったか。コロナ騒動が始まった直後から、「国民に負担をかけてはならない」という恐れに代わるあたらしいビジョンを急いで構築すべきだったのではないかと思います。
たとえば入場料収入に代わる収入、たとえば配信収入の道を探るなど。このコロナ禍で数多くのミュージシャンがそうした取り組みを始めていますから、そうした可能性もあったかもしれません。
また、いまのテクノロジーを存分につかいこなした新しい時代のオリンピック形式への挑戦だったり。コロナ禍で人々の行動様式は世界中で様変わりし、オンラインでのコミュニケーションが一般化しました。今後このコロナ騒動が収まったとしてもその流れは変わることなく、さらにAR、VRなど進化が進んでいくでしょう。そうした未来を先取りして、完全ではなくても現在のテクノロジーでできる限りのことに挑戦するといった、わくわくするような取り組みをベースに進めることができれば、今日のありかたは変わっていたのではないかと感じます。
しかしそうしたことに対する模索がされていたというようなことがこれまでひとつも聞き漏れて来ていません。だとするとやはりこれまでの延長線上の開催にこだわっていたところがあるのではないでしょうか?
まとめ
以上、上記2点が今回のオリンピックから僕自身が感じたトピックです。
しかし、そもそも東京オリンピックは猪瀬元都知事の辣腕によって日本に招致が決まったものです。そのときには世界一コンパクトなオリンピックになるはずだったものが、その後彼が都知事をやめされられ、森元首相がおさまってここまできてしまったという状況が一般人の目からすると理解に苦しみます。こうした日本社会の上部構造がなくならない限り、また同じ失敗を繰り返しそうです。
起きていることすべてはニュートラルでそれに良し悪しの意味付けをするのは人それぞれ。だから今回のオリンピック敗戦にもそれほど落胆することはないように思います。このせっかくこの機会から、日本社会がシステムとしてしっかりと学びを得て、自らを変革していくきっかけにする足がかりになったらいいなと思います。それには、既得権益の優遇をやめ、世界の手本になるような社会を作っていく。
僕自身も理想の未来へのビジョンをしっかりと持って、恐れではなく理想をベースに行動するようにありたいとの思いを強くしました。